ユウ便り

自分にしかできない仕事ってなんだろう?1

しっかり者の長女と猪突猛進な次女、癒される。

娘2人とお風呂に入るのが私の最近の楽しみです。

つい先日まで顔を湯舟につけれなかった長女ちゃんは、水の恐怖を克服し、今では水中眼鏡で潜水するのが日課です。

潜れないときは、「明日はできるよ」「絶対大丈夫!」と励ましていたのですが、勇気を出して一歩クリアすると、私の想像を超えるスピードでできることが高度になっていくので、今では、「すごいね!」「天才だね!」と声をかけています。彼女のやる気を伸ばしてあげることに意識して声をかけるようにしています。

潜水が飽きると洗い場に移動し、シャンプーを信じられないくらいポンプして桶にため、シャワーを当てて泡づくりを楽しんでいます。

「それ、お父さんの髪が生えてくる高いシャンプーです…やめて…」と声が出かかりますが、子供のやる気に水を差し、想像力を根絶やしにしてしまうのではないか、、、いや、その前に私の毛根が根絶やしになってしまう、、、と葛藤し、なんと声をかけるべきかいつも思案しています。

子育てって難しいですね。

さて、今日は「自分にしかできない仕事ってなんだろう?」という話。

人の心に木を植えよう

私にには恩師と呼べる先生がいます。

大学時代に私が所属していた研究室の担当教官、S崎准教授です。

現在では、母校の東京大学農学部林政学研究室で准教授をされています。

3年生の前期に研究室の所属を決める参考とするため、各先生からそれぞれの研究室の紹介がありました。

ほぼすべての先生が、うちに入るとこんなとこに就職できますよとアピールしていましたが、S崎先生だけは違いました。

「排ガス排出量が1/2となる車を作ったとしても、その2倍の量の車が走ったら排出量は変わらない。いくら科学が発展しても、人間の考え方が変わらないと自然環境へのダメージは減らないばかりか増えていく一方です。社会をよりよくしていくために、人の心に木を植えていきましょう」と。

私は、このプレゼンで心に木を植え付けられ、結果、S崎先生の研究室に入ることとなったのでした。

大学3年後期から大学院修了までの3年半の間、寝食を共にしいろんなことを学ばせていただきましたが、中でも印象にあるフレーズが、

「どんなに小さいことでもいいので、あなたにしかできないことをしなさい。」

でした。長いものに巻かれて、差しさわりなく社会を生きるのではなく、チャレンジしなさいという意味でおっしゃったものと理解しています。

まずは体感してみる

その後、自分が林業界を変えるぞと意気込んで某県庁に入庁、自分なりにできることはないか、あれこれ思案していましたが、半年もすると日々の業務に忙殺され、その言葉はいつしか頭の中から消失していました。

それから月日が流れ、我が家に祖父が植えた山があることを思い出しました。

林業人であるのに教科書の中の林業しか知らず、チェーンソーも扱えず、山仕事もしたことがないことに違和感を感じ、自分の手で手入れすることにしました。

まずは、林業を知るために、体感してみることにしたのです。

最初は、友達に伐倒方法をおしえてもらいおっかなびっくり作業をしていたのですが、自分で木を倒した快感に病みつきになり、そこからは毎週末作業をするくらいはまりました。

チェーンソーで木を倒していると、不意に隣の木の枝にかかってしまい、倒れなくなることがあります。こんなときは、専用の器具を使って木を右に左にゆすりながら少しずつ枝から外してあげます。真冬でも体から湯気がでるくらい疲れる作業ですが、倒したときの達成感は日常でなかなか得られないものです。

ある日、しんしんと雪が降る中作業をしていて、ふっと、疑問が浮かびました。

「林業がこんなにも魅力的ですてきな仕事なのに、どうしてみんなやらないのかなぁ」

よくよく考えてみると、林業は山の中で作業するので、きわめて露出度が低いことに気がつきました。そういえば、自分も大学に入って林業を学ぶまで、生で林業を見たことが無いなぁと。

多くの方は高校卒業時や大学卒業時の就職を考える時期までに林業の存在すら知らない。

こんなんじゃあいつまでたっても林業を志す人は増えないし、担い手が少ないので、山の環境がよくなることなんてないよなぁと。

自分なりに何ができるか考える

この状況を打開するために、自分に何ができるか思案しました。

そこで思いついたのが ”写真” です。

大学時代に写真部に所属し、日ごろから趣味的にパシャパシャと撮影していたので、写真で林業の魅力を発信できるのではないか。

大自然に囲まれて、仕事をするキコリたちは絵になるではないか!

そうだ!仕事中も林業PRを口実に、大好きな写真を撮りまくれる!県内各地のキコリたちを取材して、facebookで発信しよう!

上司からもGoサインをいただき、私の3年間に及ぶキコリ取材の旅が始まったのでした。

ーつづくー